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最高裁判所第一小法廷 昭和39年(オ)696号 判決

上告人

谷口有恒

ほか四名

右上告人ら訴訟代理人

樫本信雄

浜本恒哉

被上告人

山口為三郎

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人樫本信雄、同浜本恒哉の上告理由第一点について。

賃借人が賃貸人の承諾を得ないで賃借権の譲渡または賃借物の転貸をした場合であつても、賃借人の右行為を賃貸人に対する背信行為と認めるに足りない特段の事情のあるときは、賃貸人に民法六一二条二項による解除権は発生しないものと解するを相当とする(昭和二五年(オ)第一四〇号、同二八年九月二五日第二小法廷判決、民集七巻九号九七九頁、昭和二八年(オ)第一一四六号、同三〇年九月二二日第一小法廷判決、民集九巻一〇号一二九四頁参照)。ところで、本件について原審の確定した事実によれば、被上告人は、昭和二二年七月の本件家屋の賃借当初から、階下約七坪の店舗で長瀬商会という名称でミシンの個人営業をしていたが、税金対策のため、昭和二四年頃株式会社長瀬ミシン商会という商号の会社組織にし、翌二五年頃にはこれを解散してスタイルミシン工業株式会社を組織し、昭和三〇年頃極東ミシン工業株式会社と商号を変更したものであつて、各会社の株式は被上告人の家族、親族の名を借りたに過ぎず、実際の出資は凡て上告人がしたものであり、右各会社の実権は凡て被上告人が掌握し、その営業は被上告人の個人企業時代と実質的に何らの変更がなく、その従業員、店舗の使用状況も同一であり、また、被上告人は右極東ミシン工業株式会社から転借料の支払を受けたことなく、かえつて被上告人は上告人谷口有恒らの先代谷口作治郎に対し本件家屋の賃料を同会社名義の小切手で支払つており、被上告人は同会社を自己と別個独立のものと意識していなかつたというのである。されば、個人である被上告人が本件賃借家屋を個人企業と実質を同じくする右極東ミシン工業株式会社に使用させたからといつて、賃貸人との間の信頼関係を破るものとはいえないから、背信行為と認めるに足りない特段の事情あるものとして、上告人らが主張するような民法六一二条二項による解除権は発生しないことに帰着するとした原審の判断は正当である。右と異なる見解に立つて原判決を非難する論旨は、採用できない。

同第二点について。

上告人谷口有恒らの先代谷口作治郎がその代理人たる北森芳蔵を通じて本件賃料を増額をしたことにより、右谷口作治郎は被上告人の本件家屋増築を暗黙に承諾したものである旨の原審の認定判断は、その挙示する証拠関係に照らして首肯できないことはなく、その判断の過程に所論違法は認められない。所論は、ひつきよう、原審の認定と相容れない事実を前提として、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実認定を非難するに帰し、採用できない。

よつて、民訴四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。(裁判長裁判官長部謹吾 裁判官入江俊郎 松田二郎 岩田誠)

上告代理人樫本信雄、同浜本恒哉の上告理由

第一点 原判決は民法第六一二条の解釈適用を誤れるものである即ち

一 原判求は民法六一二条は賃貸借が当事者の個人的信頼を基礎とする継続的法律関係であることにかんがみ賃借人は賃借人の承諾がなければ第三者に賃借権を譲渡し又は転貸することを得ないものとすると同時に賃借人が若し賃借人の承諾なくして第三者をして賃貸物の使用収益をなさしめたときは賃貸借関係を継続するに堪えない背信行為があつたものとして賃貸人に於て一方的に賃貸借関係を終止せしめ得ることを規定したものと解すべきである、従つて、賃借人が賃貸人の承諾なく第三者をして賃借物の使用収益をなさしめた場合に於ても賃借人の当該行為が賃貸人に対する背信的行為と認めるに足らない特段の事情がある場合に於ては同条の解除権は発生しないものと解するを相当とすると解し、本件上告人等と被上告人との家屋賃貸借契約について被上告人が極東ミシン工業株式会社に家屋の一部を使用収益させていることは前述の特段の事情があり民法第六一二条の解除権は発生しないことに帰着すると判示している。

二 而して、原判決が特段の事情が存するとする理由は、被上告人は賃借当初から本件家屋で長瀬商会という名前でミシンの個人営業をしていたが税金対策のため昭和二四年頃株式会社長瀬ミシン商会という商号の会社組織にし、昭和二五年頃にはこれを解散してスタイルミシン工業株式会社を組織し昭和三〇年頃には極東ミシン工業株式会社と商号変更したがこれらの各会社の株主は被上告人の家族や親類の者の名前を借りたにすぎず実際の出資はすべて被上告人がしたもので各会社の実権はすべて被上告人が掌握していることは勿論のこと、その営業は個人企業の時代と何ら実質的変更がなく従業員もすべて個人企業時代の従業員が右各会社に順次引継がれたその上、右店舗の使用状況も会社になつたからといつて何等変らなかつたこと等から被上告人には上告人に対する背信的行為と認めるに足らないものであるとの認定によるものと思料されるのである。

三、しかし、賃貸借契約において賃借人が何人かということは賃貸人の利益に関し至大な関係を有する事項である、即ち賃借人の資力、性行、職業等が異るときは、賃貸物件の使用収益の程度方法或は賃料の支払につき差異を生ずるものであるから民法第六一二条は賃借人は賃貸人の承諾あるにあらざれば権利を譲渡し又は賃借物を転貸することを得ないとした所以である。

従つて、被上告人がたとえ、個人営業から会社組織に改めその代表者であるとしてもその人格は異りその使用収益の程度並に方法について差異を生ずることは勿論なるのみならずその会社がときに解散し、ときには組織の変更或は名称変更をなすがごときは、他の事案はしばらくおくとしても、少くとも、本件の場合についてはその営業の不振或は困難等の理由によつて解散又は名称変更を順次なしたものであつて賃貸人の信頼関係を著しく害するものであることは明白である。然るに、原判決は特段の事情ありとして、上告人の解除権を否認したことは民法第六一二条の規定の解釈並にその適用を誤れるものである。<以下略>

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